2009年大会INDEX

2009年日本平和大会in神奈川 国際シンポジウム・特別報告

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大西 照雄


沖縄
ヘリ基地反対協議会代表委員・名護平和委員会

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普天間閉鎖・辺野古新基地建設ノー 県内たらい回し、日本のどこにもいらない

 普天間閉鎖・辺野古新基地建設問題は日米政府を揺り動かす重要な国政の問題となりました。11月8日の県民大会に成功、オバマの来日にシュワブ基地はオバマを援護するように野営までして援護作戦でした。オバマは「兵士をほこり」など3度も激励に応えました。

 民主党連立政権はゲーツの恫喝に怯え、オバマの褒め殺しに「日米合意迅速」実施と対米従属を深めています。
 辺野古テント村は継続して現場から日米政府の「辺野古ありき」に挑んでいます。普天間・辺野古問題は「宜野湾にいらないものは名護にもいらない、日本どこにもいらない」、閉鎖・返還、たらい回し反対であります。マスコミの「移設問題」や大阪知事の「負担軽減」ではありません。

 辺野古13年の闘い、座り込み2063日、苦しい時も、つかの間の喜びもありました。みなさんと13年の歴史と成果を共有したいと思います。

 私たちは、海上基地を市民投票で拒否、軍民共用空港計画を非暴力と世論の力で頓挫させ、米軍再編V字形2本滑走路を環境アセスメントで縺れにもつれさせていることです。今、私たちは3度目の勝利への展望を作り上げ始めています。この間の国民の力を整理してみましょう。

 その力の一つは、徹底した情報の共有、学習、徹底した非暴力と世論形成です。その力の二つ目は、平和の文化と生物多様性の団体・個人の共同、そして、国際的ネットワークを意識的に追求してきました。その力の三つ目は、現場に足を据えて、友好・対話・交渉を重視しながらも服従と屈服を拒否して「不屈」と「愚直」の歴史を貫いたことです。
 何よりも、1995年の少女とご両親の勇気が閉塞の歴史を動かしていることです。

 さて、みなさん。私たちは勝てるでしょうか。どうすれば勝てるでしょうか。

 現在、政府とマスコミは「米軍再編成V字滑走路新基地計画」(ロード・マップ)を「現行案」と使っています。新基地計画は再編成の「鍵」であり2014年の完成に縛られながらも進められているのです。平和丸基金も、新基地計画のアセスメントを暴くために事前調査抗議行動、違法アセス監視、サンゴ調査などの調査活動、海上学習活動など多面的に働きました。

 政府の計画は方法書約400通で8ヶ月予定が狂いました。私たちは環境アセス審査会も重視して意見書や提言も行い、新聞にも「アセス審査会は良心的―知事意見は答申否定」(タイムス論壇07年12月31日)などなどで研究者・学者との共同を重視しました。
 私たちは準備書には約5000通の意見書を提出しました。アセス審査会は、アセス調査のやり直しおよび実質的アセスのやり直しを答申しました。
私の意見書は105ページで、県平和委員会と平和丸基金はアセス審査会に軍事面と環境問題で意見書を提出しています。(大久保意見書は優れています)
 なお、ブログ日記「宝の海」(04年9月から毎日日記)で辺野古情報を発信続け、辺野古関連のブログも増えてきました。

 民主党はアセスメントをめぐる動きの中、「国外・県外移転」で国民の心をつかみ、選挙の勝利が見えてくると「再編成見直し」、政権を取ると「日米合意ありき」と対米追従の醜い姿をさらけ出しています。
 日米政府の狙いは「2014年完成」の縛りを取り払うことです。政府とマスコミは「移設」論、負担軽減論などで争点ぼかしに躍起になって焦っています。新基地はアジア・太平洋地域の「悪魔の要塞基地」です。もう一度原点に戻ります。安保廃棄勢力が歴史を動かす年だと思います。

 2010年の日本の幕開けは名護市長選挙から始まります。新基地反対の候補者生みだし大同団結に至るまで市民的勇気の闘いがありました。「名護市に基地はいらない」名護市政を作り上げましょう。
 全国の仲間の支援を求めます。

(平和新聞12月5日参考)